そのラリアットはマジでヤバい

おっさんIT系サラリーマンの自意識が高ぶったときに、ふとぶちかます雑記です。

OSJ ONTAKE100kmを走ったんだ

 

こんにちは。つい先日行われたウルトラトレイルランニング、OSJ  ONTAKE100kmを走ってきました。結果から言うと制限時間ギリギリの19時間半かかりました。まず何よりも言いたいことは、運営の方々及びボランティアの方々ほんとありがとうございました。そして参加された方々、お疲れ様でした。いやほんと大変でしたね。そしてその次に言いたいことは

 

「109キロあるやんけ!100キロいうたやろうが!!おぉん?」

 

ってことですかね。いや考えてみてくださいよ。健康な体で9キロ走るのはそんなに苦じゃないですよ。でもね、砂利だらけの林道を100キロ走った後の9キロってマジできついんですよ。足裏は血豆でボロボロ、太ももは筋肉痛、またズレした股間で激痛な中、9キロがまじで900キロくらいに思えましたわ。ほんと言いたい。「ONTAKE109」に変名しろやと。まあ、一番言いたいことは言いました。後は思い出しながら。

 

🔳どんなレースなのか

今回初参戦したわけですが、このレースをご存知ない方に言っておくとトレイルランナーからは「走る坐禅」と言われているのです。それは全長が109キロにもかかわらず累積標高が3000ほどと低く、ゆる〜い登りとゆる〜いくだりが続くこと、景色が単調な林道が延々と続くこと、そしてエイドがほぼ水しかないこと。開始が夜12時スタートということもあり、自然と走る人たちは変わらぬ林道を延々と走るうちに、「俺は何をしているんだ」「生きるってなんなんだ」と考えだし、90キロを超える頃には全ての執着から解き放たれ「砂利だらけの林道まじきちい」意外何も考えられなくなるためです。ほんとこれはそうだった。ゴータマシッダールタ以上に欲望から解き放たれました。解脱した。

 

🔳なぜ参加したのか

この前の4月、UTMF KAI69キロを完走し、来年ぜひUTMF本戦100マイルに参加したい!と思ったためです。そのためにはITRAポイントというトレイルランニングの国際規格10ポイントを3レースで貯めねばならず、今までハセツネとKAIでそれぞれ3ポイントずつ、計6ポイントを貯めたわけですが、ということは1レースで4ポイントを稼がねばなりません。そうすると関東近くで80から100キロレースを探すと累積標高低めなONTAKEが出てきたわけです。正直ハセツネで70キロ累積標高4800Mに比べれば100キロで3000M未満なら「こりゃイケルっしょ〜」と余裕のよしだしげる元首相と思っていたのです。

 

🔳どんな練習したのか

平日の走り込みとは別で、毎週末の30キロロード走は年初からずっと続けていました。このおかげでKAIでは最後まで上り以外は全て走れたし、足もそんな重大なダメージにもならず余裕を持って終われたのですが、結果からいうと100キロの林道の前には無力でした。後毎週1回は坂道ダッシュ10本とか、20キロのダンベルもってスクワットも続けていましたが、正直やらなくても良かったかと。今回のレースは上りがゆる〜かったんで、その代わりにヤビツとかの峠走や、30キロ以上のLSDをもっとやっておけばよかったなと。ほんと80キロ以上は足が終わって全く走れなかったので。

 

🔳何を持って行ったのか

フツーのランニング用シャツとタイツ、足にはニューハレのテープ類、靴はナイキ信者の私にとって今回の最良の選択肢、ズームXゼガマ。しかし予想外だったのは今まで70キロのレースでは起きなかった股ずれが起きて80キロ以降激痛だったこと。みんな天狗バームとか塗ってたのはこのためだったのか!!特殊な性癖なのかと思ってたよ!後レースでは初使用となったシナノのストックはマジであってよかった。正直なかったら死んでました。

 


補給はアミノサウルスジェルを1時間に1つ、エネもち、パンとおにぎり数個、男梅グミ。でしたが水しか出さないOSJということもありもっと固形物はバリエーション持たせて持っててもよかったなと思いましたね。私も初めての経験でしたが甘いもの、ジェル類が飽きて食えなくなるという事態が初めて理解できました。なので甘くないおにぎりはもっと持って行ってもよかったです。また男梅グミは超優秀でした。これだけ延々と食えた。エネもちもいうほど甘くなくて腹持ちもよく最高でした。ちなみに手持ちの補給じゃないんですけど、85キロ付近のエイドででた唯一の炭水化物、素麺。1杯しか食えないしカロリーから考えたらほぼないも同じなので、「いやもっと他にあるだろ」と思いました。いやありがたいんですけどね。ありがたいんですけど…

 

 

 

🔳レース始まる前まではどうだったのか

UTMFもハセツネも宿泊なしで行けちゃったのですが、今回は遠方ということもあり木曽福島に宿を取りました。レンタカーで行けなくもないんですが疲労困憊な中ドライブで帰ると事故りそうなので電車&バスで行くことに。そして参加された方みんな困ったと思うんですが、レースのスタートが夜12時なんですよ。そして開催地の松原スポーツ公園は宿のある最寄りの木曽福島駅から車で40分ほど。事前の受付がその公園で13時スタートなのですが、そのまま松原スポーツ公園に居ると残りの10時間余りを過ごすには選択肢はほぼ車中泊しかありません。夜は意外に寒いし予報は雨でしたし、直前で体力を使いたくないな〜と思ったので、私は昼間13時に松原スポーツ公園まで行き、最速で宿のある木曽福島にバスで帰るとまだ16時くらい。なのでギリギリまで木曽福島駅の宿で3−4時間ほど寝て、夜10時にタクシーで再度松原スポーツ公園まで向かおう、と予定しました。

 

受付の前日から前泊したので宿でのんびり備え付けの手塚治虫ブッダ」を読み切り、走る座禅の前に読む座禅もこなし悟り切った私は、予定通り13時に受付をこなすと夜10時にスタート地点まで行くタクシーを予約し、16時に木曽福島に戻って一旦寝ようと思いましたが全く寝られず。仕方ないので横になるだけなって夜を待ち、準備して夜10時に木曽福島駅前のタクシー乗り場に行くと、おばちゃんの運転手さんがいらしたので予約した人間であることを告げ乗り込むと、

 

「もう1人いるから待ってて」

 

えっそうなの?聞いてないけど?と思ってしばらくすると同じ参加者の方が来て、その方も乗合であることを知りませんでした。どうなってんの?と思ったらおばちゃんの「開催地まで9000円かかるから、割り勘の方がいいと思ったのよ!」というアドリブにそりゃまあ、そうかも…と双方納得しました。すげーな。そういうのそっちで決めるんだ。まあいいけど。道中楽しかったから。その方、前日に財布無くしてたと聞いて全額出そうかと思ったら拒否されて結局割り勘だったんですけど、財布落としたメンタルで100キロ完走するのほんとすごいですよね。

 

🔳いざスタート

で、夜11時くらいに松原スポーツ公園につくと参加者約1300名くらい?がおるわけですよ。そして結構な雨。寒かったのでレインウェアきるか迷いましたが走るとすぐ暑くなるだろうから着ませんでした。そしてみんながヘッドライトをつけいよいよスタート!開始はロードなのですが、まあ大体のレースは序盤2−3キロはロードなのですが、なんと10キロ以上ロードが続きました。あれこれトレイルじゃなかったの?と思いつつ13キロ付近でようやく林道に。そして初めは「走りやすいな〜」と思っておりました。根っこもほぼ無いし、上りはあると行っても足を大きく開くようなのはないので、脚力ある人は全部走るのも納得です。私は開始早々から「上りはストックで歩きながらキロ12分をすぎないようにして、下りは全部走る」これだけを守っていれば絶対に制限時間である20時間を超えることはないと確信しておりました。そしてその通りだったのです。

 

そう1週目、54キロまでは…

 

この頃になると、走りやすいな〜と思っていた林道の恐ろしさが徐々に足に染み込んできます。底が厚めのゼガマでも防ぎ切れない林道の砂利の凸凹が足に蓄積し、次第に足裏が痛くて走れなくなってくるのです。これはレース後にみたのですがやはり血豆があちこちにできており、レース中のアドレナリン開放状態だからこそまだよかったものの、通常時なら歩くのも激痛です。そして1週目と書いたのは、このレースはコースが8の字になっており、54キロ地点でスタート地点の松原スポーツ公園まで戻ってくるのです。そして自分で用意した食べ物や着替えを受け取ることができます。私がここに着いたのは朝の8時ごろ。

 


すごい、炎天下だったんですよ。まだ朝8時だからよかったものの、この後の予報をみるとなんと山の上ですら30度越え。あたりにランナーから「この天気じゃ無理だろ…」「リタイアします」の声があちこちから聞こえます。私もマジでリタイアしようかと思いましたよ。なんせ林道って太陽が真上に来ると日影がなくなるんですよね。この後の50キロ、マジで地獄しかないことがわかっておりました。が、正直行くしかねえ、と割り切ってエイドを出ました。

 

少し休んだお陰でまた走れるようになったのですが、それも80キロくらいまで。この頃には太陽真っ盛り、林道に反射して両面ホットプレート状態です。そこかしこの湧き水で帽子を濡らすも効果は5分ほど。こうなると水をいくら飲んでも熱中症は避けられず、ストックをついて歩いている最中に気持ちが悪くなり、変な動機を心臓に感じてきました。私だけではないようで、眠気もあるのか道中でも座ったり寝込んだりして動けない人もちらほら見かけるように。心拍が上げられないので、平地もストックで歩かざるを得ません。そのうち足裏も痛みが極限まで達し、股ズレも尻のあたりまで来たのか1歩1歩にカッターを押し付けられるかのような痛みになってきました。1キロあたり12分を超えると制限時間に間に合わない可能性があるのですが、まだ前半で作った貯金があるにせよ、下りの林道も暑さと痛みで走れなくなってきました。これはもう無理かもしれんな…

 


と弱気になるたびに思っていました。「諦めない。必ず着く。サイのツノのようにただ1人歩め」と。諦めなければ必ずゴールできますよ、とは完走経験のある先輩ランナーからのアドバイスで、後半のサイのツノはブッダの有名な言葉です。いやほんと、この言葉ばかりを念仏のように脳内で唱えながら、他のランナーに抜かされようが、暑さが凄かろうが、足が痛かろうが、1歩1歩前に出すことしか考えませんでした。

 


そして腕時計が100キロを超えたぞ!と示したあたりで後9キロとしって「お前まじほんとふざけんなよいやマジで」とこのレースを開催してくださったありがたい運営の方々に八つ当たりと暴言を呟きながらも1歩1歩歩き続け、日も落ちてきた19時半、ようやくゴールできました。ゴールした時にまず最初に思ったのは、感動でも感激でもなく

 

「もう歩かなくていいんだ…」

 

でした。でもその直後、木曽福島駅行きの最後のバスが5分後に出ると知って歩くどころかマジでダッシュしたのが一番きつかったかもしれません。

 

 

まあ、そんなこんな色々ありましたが、初100キロのトレイルレース完走できてじんわり喜びを噛み締めております。いやー、よかった。まだ足と股が痛いので来年また出たい、とは思えませんが、どうせ数日したら全部楽しかったことになるんだろうなあ〜。

 

 

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