そのラリアットはマジでヤバい

おっさんIT系サラリーマンの自意識が高ぶったときに、ふとぶちかます雑記です。

仏と死

突然何を言い出すんだと思われるかもしれませんが、こないだブッダと同じ体験をしたんですよ。ブッダってあれですよ。みなさんご存知なことだと思いますが、ブッダというのは元々はインドの王子様で、何不自由ない暮らしをしていたところから、ある日街中で老人や病人、死体などを見て衝撃を受け、それが出家のきっかけになったと言われています。しかもそん時35歳とか。私はこの話を聞いた時、思いました。

 

ブッダ、お前アホなのかと。

 

30いくつにもなって、病気や老い、死というものを知らんかったんかいと。思っていたのですが私も42のこの歳になってわかりましたよ。ブッダがなぜ出家したのかと。30いくつにもなって教養溢れる王子様だったブッダはそりゃ、老病死を知らないわけがありません。知っていた。ガンガンに知っていた。なんなら熱が37度4部くらいでそんな重くないのに『今日熱出たから学校やすむぅ』って言って11時くらいまでは教育TV見てワクワクしていたけど、突然手話ニュースになって寂しくなり『やっぱ学校行けばよかったな』って思うくらいには病気も知っていたと思うんですよね。

 

でもリアルな病人、死体、老人を見たことがなかったと思うんですよ。もっと言えば、本当に末期の、もう助からないことが誰の目にもわかる、苦しみにのたうち回る病人を、意識のはっきりした年になって、自身の近くにある現実の一種として理解してなかったと思うんです。また死体という概念は知っていたけど、腐ってウジの湧いた見るも無惨な死体を、自らと重ね合わせていつか自身もこうなるのだと思っていなかったし、その病人や死体になりゆく老いという概念を抽象的ではなく、具体的な自らに今起こっている生理現象として捉えていなかったと思うんですよね。つまり死を本当の意味で実感していなかった。

 

でもこれって、私もそうでしたからね。

多分、みなさんもほとんどそうなんじゃないかな。

 

今日、父親と病院に行ったんですよ。総合病院でちょっとややこしいことになっていたので、いろんなところたらい回しになっていたのですが、みるとね、行くところによって全然雰囲気が違うんですよ。呼吸器内科とかね、メジャーどころは老人こそ多くてもそこそこみなさん元気というか、賑わいがあるのでなんてことない日常の延長線なんですけど、地下のある一角にあるところは人がいるのにとっても静かで、照明もちゃんとあるのになんて言ったらいいのか、すんっとした雰囲気なんですよね。見ると老人だけじゃなくて子供とか若い人もそこそこいるのに、ざわめきが全くない。

 

放射線

 

言っちゃなんですが、ガンの人たちじゃないですか。この先、かなりの確率で命を失う可能性が高い病気になっていることが自らわかっている人たちなんですよ。老人だけじゃない。本来ならはしゃぎたい年頃である子供たちや、若い青年だっていますが、付き添いの人たち含めて、みんなとても静かなんですよね。当たり前ですけど、その人たちを見て思ったんですよ。なんて声をかければいいのかなって。もし自分がこの人たちと親しい間だとして、なんと言えばこの人たちに誠実であるということなのだろうって。初めて「病」を具体的に自分ごととして捉えたんですよね。

 

悲しいかな、日本という先進国の一つに住んでいながら、二十年近い義務教育と二十年近い社会人生活を経ていても、明日が希望ある未来だと限らない人たちにどう向き合えばいいのか全然わからないんですよね。ただ気持ちを盛り上げる中身のない前向きな言葉を並べ立てるのも違うと思うし、同情したり悲しんだり憐れむのも違う気がするし。かといってブッダのように悟ったふりをして、死ですら無常の一部としてただ風に散る花びらと同じものとするには、あまりにも無責任であるように思ったんです。

 

人類が誕生して何千年なのか。死というどこにも、誰にもあるものを認知したのがいつ頃なのか。老いや病気を認知し、それをどのくらいの期間越えようとしてきたのかわかりませんが、誰もが嫌なこれらの現象を我々は頭ではわかっていますが、本当に自分ごととして捉えた時に、果たしてどう振る舞うべきか。それらを大体の人たちはわかっていません。そして答えなんてないのかも知れません。

 

ただあの静かな放射線科の雰囲気に、ブッダが悟りを得たくなった理由を見た気がしたのです。そしてそれは、多分ほとんどのみなさんが人生のどこかで感じることなのだろうと思います。誰もが昔から知っているのに誰も答えを知らないこの問題に、私もこれから向き合うことになります。答えを求める気はありません。正しいとか間違ってるとか、多いとか少ないとか、前向きだとか後ろ向きだとかよりも、

 

 

真摯に向き合えたかどうか。

 

 

そこが問われると思っています。

2023にむけて2022を振り返る

あけましておめでとうございます。皆さんどんなお正月をお過ごしでしょうか。新しい年を迎えたこの機会に存分に体を休めたり、新しいことを始めるのも重要なことですが、私はまずちゃんと過去を振り返ることをお勧めします。過去から学び.未来に生かす。それこそが脳という思考機関を持つ人間の特権であり、つまり何も考えず過去から学ばないということは人間性の放棄であるといいたい。その重要さと有用性を皆さんに伝えるために、まず私自身が昨年を振り返ってみようと思います。

 

■2022年良かったこと

 

・フルマラソン4時間切れた

2019年に東京マラソンに当選し、なんとか膝や踵を痛めつつも完走、いや敗北感にまみれて5時間半で完歩しました。あの敗残兵のような体験があまりに悔しく、颯爽と42キロを駆け抜けたい、と奮起して月200キロの練習をほぼキープしたこの2年間。ようやく2022年1月に河川敷マラソンですがサブ4達成できました。これは良かった。なんせサブ4してない人を露骨に見下すことができるようになりましたからね。この、サブ4も達成できない薄汚れた豚どもが!糞尿でも啜るがいい!…はっ…!そこにおわしますのはサブ3の方々!ご機嫌麗しゅう…ぜひその神々しい御御足をこのサブ4豚めに舐めさせてください!

 

・トレイルランにハマった

そんなランニングブームにさらに拍車をかけたのは友人に誘われて行ったトレイルランニングでした。単調なロードに比べ自然の中を駆け抜けるのは本当に気持ちいい!4月の青梅高水国際15キロから始まり6月の両神山トレイル20キロ、8月の陣場山トレイル30キロときて、10月のハセツネ70キロをやり遂げたのは本当に達成感ありました。ハセツネで夜中の風雨吹き荒れる山の中を低体温症で倒れる人たちを横目に何時間も歩くという激キツムーブを体験し、今後何があっても『ハセツネに比べれば…』と思えるようになったのは大きな収穫です。石を抱かされながら鞭打ちされて両足ノコギリで切られても楽勝です。たぶん。知らんけど。ハセツネに比べれば…!(死)

 

・ブレワイクリアした

42才にもなるとアクションもRPGも、ゲームをやる集中力がわかなくなりますよね。そもそもゲーム自体時間の無駄、スイッチ入れる気もしねーわ、と思っていたのですがブレワイは違いました。ほんとゼルダの世界にどっぷりと浸かり、メタバースどころか脳神経までリンクと直結するかのようなハマりぶり。15年ぶりくらいに睡眠時間を削って遊びました。多分ガノン倒してなかったら今でもハマってたと思います。ガノン倒してから急に無気力になってしまいましてね。マジで倒さなければよかった…次回作は死んでもラスボス倒さないぞ!俺の人生はハイラルにあるんじゃーい!

 

・仕事クビにならなかった

よくやった。ギリ回避した。我ながら偉い。

 

 

 

■ダメだったこと

 

・プロレスを一度も見に行けなかった

会社のプロレス愛好会に属し、先輩たちから様々な薫陶を受けてきたのですが、気づいたら毎週ワールドプロレスリングを見るだけでなくYouTubeやネットで情報を漁り、一番熱くプロレスを語るようになってしましました。ちなみにW杯もM-1も1秒も見ていません。何が面白いんだあれ。チョップもラリアットもブレーンバスターもないのによくそんなに盛り上がれるな。そんなプロレス大好きな私なのに2022年は一度も生で見に行かなかったのが1番の後悔です。たとえ声援が出せないとしても一度は行きたかったなー。

 

・パチンコで金をスった

いやパチンコってほとんどやったことない、っていうかむかーし昔に友達と行って15分で五千円が消滅しそこから2度とやらねえ、と誓ってからこの20年ばかしやったことなかったのです。今回、会社の後輩2人とただ忘年会しても芸がないので、余興がてらみんなで一万円でパチンコやってその結果でいく店を決めよう!みんな負けたらサイゼリアな!とルールを決めてやってみました。初心者ばかりでよくわかっておらず、マジで物理的に玉がなくなってカードだけになってたことにビビったり、カメラで俺らを観察し、その結果当たる確率を操作しているに違いない…!と仮説を立ててわざと初心者ぶることで勝つ確率を引き上げようとしたりしましたが、店員さんが丁寧に教えてくれるだけで何もなく、いたってスムーズに我々の3万は消滅しました。最初っから3万なんてなかったんじゃないかと錯覚しかけました。なんなら「左打ちしろ!」という言葉の意味を理解するだけで3千円くらいかかった。しかしパチンコ屋、すげえ数ある上にめっちゃ人いたんですがあいつらあのスピードで金かけてんのか…昔からパチンコにハマる人たちを人生の敗者共と見下していましたが、今なら未知に挑む勇敢なチャレンジャーに見えます。すごい!パチンカス恐るべし!リスペクトパチンカス!

 

・大空の元でうんこをした

あれは思い返せば22年一月。サブ4達成に向けた30キロ走をしていた早朝の誰もいない雑木林を駆け抜けている時でした。突然あらゆる神に祈りを捧げざるを得ないほどの大腹痛に遭遇しましてね。油汗が滴り、歩くのも困難なくらいの激烈便意。決壊を予感させるその激痛は、たとえ俺の肛門括約筋だけがアーノルドシュワルツネッガーだとしても後5分は持たないことを確信させるにイナフすぎました。決壊を確信した私は人目がつかない場所と、本能でケツを拭けそうな落ち葉を探しました。この時、痛みに耐えながら『人間って野糞する時、マンガみたいにマジで落ち葉探すんだな』と思ったことを覚えています。そうしてケツにソフトな優しくやわらかい葉を握りしめ、なるべく人目につかない、そして地球環境に影響を与えなさそうなサステナビリティの高い場所を見つけた私は無事意図的にダムを決壊させ、崩壊による村民の被害を抑えることができたのです。国語力が低くて比喩がわかんない人向けにいうと無事にのぐそ出来たのですが、何がショックだったかっていうと42にもなって無様にのぐそしたその事実ではなく、その後何事もなかったかのようにランニング再開して10秒ほどで目の前に公衆トイレがあったことが一番ショックでした。マジで叫びましたからね。『おい!おせえよ!』ってね。いや公衆トイレお前は何も遅くない。俺が遅い。言い換えれば俺の便意が早すぎた。

 

 

■2022年の総論と2023年に向けて

というわけで昨年を振り返ると、なんだかんだ言ってランニングを中心に最高に楽しかった一年だったなと思うと共に、反省点としては『プロレスをもっと見て、パチンコと野糞をしない』という大変示唆に富む有用な考察結果を得ることができました。よかった。

 

みんなも過去を振り返って教訓を得、コスパ高めな人生を切り開いてください。そして今考えると42才って厄年の最後だったのですがなんもなかったなーと思ったら野糞、あれが厄だったんですね。今気づいたわ。あぶねえあぶねえ。なんとか切り抜けられてなによりでした。

 

 

(切り抜けてない)

 

 

 

コロナになったよ2022年末

コロナになっちまいましたー!いやー、コロナ禍も三年目、ここまでくると既にどっかしらでウイルスには接触してるだろうし、日々のランニングやら長風呂やらで自律神経は整ってるし免疫力も高まってるだろうから、俺はもう100%大丈夫だろうと思ってたら、なった。いやー。まあ不思議ではないんですけどね。いつも年末に仕事が立て込むし、何より酒の場面が増えますからね。酒って飲むと睡眠浅くなるじゃないですか。今回は仕事立て込んできた+飲み会続きの週末から発熱しましてね。まさに体調崩し黄金パターン。

 

金曜夕方あたりから、ナーンか熱っぽいなー?と思って寝て、土曜起きたら明らかに熱が出てまして。うっすら悪寒がきてたのでやべえやつだなと直感でわかりましたね。いやあれよ。オカンは来てないよ。何よりもう俺の母は八年前に他界してますからね。それでオカン来たらあれじゃん。「お盆かよ!」って突っ込まざるをえないじゃん。そしてそれはそれで感慨深いものがあるじゃん。孫の顔見せれずに悪かったなぁ…みたいな。エモい。エモすぎる。それにもし本当にオカンがあの世から来てたんだとしたら高熱の俺に高めのユンケル1本でも差し入れてほしい。それが真の愛。

 

で、やべえから病院に行こうとすると発熱外来になるってんで、まずはキットで検査して、陽性ならまた来いと。で、なんか鼻水に綿棒突っ込んで自分で学研の実験セットみたいなのでぐちゃぐちゃして、妊娠検査薬みたいなのにその液体を浸して、15分経って2本棒が出たら陽性らしいんですが、浸して10秒もしないうちにアディダスのジャージばりにクッキリ2本棒が出てましたからね。バリバリじゃん。バリバリに陽性じゃんと。

 

んで、その結果を国のよくわからんセンターにネットで登録して、もう一度病院に連絡すると、隣の薬局で薬処方すっからもっかい来いと。ただし薬局の中に入るんじゃねえと。中に入る直前にもっかい電話せえと。直接接触を避けるためってわけですよ。で、言われた通りいざ薬局の目の前に行って電話すると、

 

「隣の駐車場の右から3つ目の、黒い自転車のカゴに今から5分後に薬を入れるから、しばらく離れててください」

 

とか言われまして。あれ?俺、間違えてドラッグをプッシャーに注文した?とか熱にうなされた頭で思いましたが、それこそそんなことを思い浮かべて15秒くらいしてから駐車場見たらもうありましたからね。ビビりましたよ。凄腕のプッシャーよ。こりゃ上者のスノーホワイトだぜ…(カロナール

 

で、そこから1週間は外出禁止というわけでしてね。幸いにも自宅は2階に個室があるので、そこに食料買い込んで、嫁さんに助けてもらいながら隔離生活を送っております。今4日目になるのかな?ずーっと寝てるだけなので時間感覚もよくわかりません。二年前に娘が罹った時にも同じような生活はありましたが今回は私本人が対象なわけです。24時間自室にて、仕事もせず熱にうなされ続けております。私自身こんなことをいうのもなんですが、1人でいて寂しいとか、孤独だとか思ったことがあまりないのですが、今回は強く「孤独だ」というか、世界から隔離されている自分、というのを強く感じましたね。

 

よく考えたら昔、社会人なりたての頃には名古屋で一人暮らししておりましたが、その時も別に寂しいとか、孤独だとか感じることはなくて、純粋な自由の喜びに満ち溢れておりました。普通に風邪ひいて寝込むこともありましたが、それでも寂しさなんて1ミリも感じませんでした。そう考えると不思議な者です。ボロアパートでの一人暮らしで熱でうなされるのと、妻と娘がいる曲がりなりにでも一軒家の2階で熱でうなされるのとで、一体何が違うのでしょうか。

 

あの時と今との違い。そう、それは家族の存在です。あの独身一人暮らし時代にはなかった、1階から微かに聞こえてくる娘の声だとか、嫁から気を遣って紙皿で提供されるご飯だとか、分断される風呂やトイレのタイミングといった、今まで家族という土台に積み上げられた生活の1つ1つが、コロナ罹患という事実で歪み、その歪み自体が同じ家にいる家族から隔離されている自分をいやがおうにも浮き上がらせるのです。孤独を感じるのは誰もいない砂漠のど真ん中ではなく、雑踏の中であるように、家族を得た後の方が隔離されるという事実をより強く感じさせるのでした。

 

つまり何が言いたいのかというと、アマゾンプライムTVERも面白そうなものは大体見て、SWITCHやる気力もないので、誰かめっちゃ面白いゲーム実況者とか知らん?ということです。ぶっちゃけ孤独は感じても全然寂しくはない。

 

 

それより面白いゲーム実況が知りたい。

 

 

 

 

初めて純粋に応援をした話

こんにちは。ご無沙汰しております。ところでみなさん、応援ってされたことありますか。スポーツの試合でも子供の運動会でも、なんでもいいんですけど、応援したりされたりするじゃないですか。かくいう俺もね、マラソンとか趣味なもんで大会とか出るんですけど応援されるのっていいもんですよね。人生の主人公になった感というかね。

 

でもふとね。思ったんですよね。応援されることはあるけど,俺って、ほんとの本気でガチのマジで純粋に応援したことってあるかな?と。小学校の運動会だってフレー!フレー!とか言ってたけど内心クソだるいと思ってましたし、W杯とかオリンピックとか見てても頑張れとか思わないし、むしろ俺が競技者側なら怠惰な傍観者から無責任に頑張れとか言われたくねーなとか推測して言わないし、大好きなプロレスを生で見た時は流石に熱くなりますが、でも応援というか選手たちの生き様を目に焼き付けるのに必死で応援という感じとは違うというかなんというか。おっ?今八百長とか言った?言ってない?ちなみに言ってたらインディアンデスロックかけた後引き起こしてスリーパー決めっからな。鈴木みのるが引くくらいのやつ極めっからな!!おい!!!

 

そう。純粋な気持ちでの応援というものを、私は今までしたことがないなと思ったのです。原因は明らか。この歪み切った性格です。マラソン大会でても周囲の応援が全て嘲笑と侮蔑に聞こえ、「最後まで笑顔で頑張れ〜」とか言われようもんなら「こちとら死ぬほど頑張ってんのになんで顔も名前もDNAの一行も知らん貴様なんぞに現状の努力を否定された挙句さらなる奮起を笑顔を伴った形で強制されなあかんのじゃいい!!!それもさほどの熱意なく!貴様ぁ〜〜!!!!ナパームストレッチかますぞ!!」と思ってしまうくらいのこの性格の歪み。もはやどうしようもない。幼少期にマザーテレサ5人に24時間ふっづけ7年ケアされるくらいでないと直し用がない。こりゃ今後も俺がピュアな善意での応援をするなぞ実の娘が崖から落ちる2秒前でもありえない、と深く絶望していたのです。

 

しかし!!し!か!し!この間、俺にも100%純粋にガチのマジで本当にリアルピュアな思いで応援する機会というものに恵まれたのです!!!ありがとうマザーテレサ5名!(幻覚)それがどういうシチュエーションだったかというと、まず駅のホームで電車を待っていたんですよね。そんで暇だな〜、無意味に股間でもいじろうかな〜と思いつつ、「否!!今は外出中でござった!危のうござる…」なんつってね。全部嘘なんですけど。イヤホン出して何か聞こうと思ったんですよね。そんでほら、最近のイヤホンって殻付き落花生みたいな形してるやないですか。コードレス?イヤホン?っていうの?あれ。あれをふとポケットから出そうとしたら手が滑って、ホームにオチやがったじゃねえですか!!!

 

うおおおおおおんおおおおおおおいいいいいいいいぅおうおおん?いやっちまったああああああいいいい!!!いや俺実際マジでこんなふざけたこと書いてるけどリアルにこういう他人様に迷惑かける系のは本当絶対やらないタイプっていうか、意外に真面目っていうか、なんなら駅で「イヤホン落とすの注意」とか張り紙みても「こんなアホほんまにいるの?いやいないっしょ?頭にうんこつまって毎日脳みそトイレに流してんのか?ウホウホゴリラレベルだな(笑)」とか思ってたんですよ。マジで。いやあああああ!!それ俺だったああああ!!!!!ウホウホ(笑)やべえ脳みそ漏れそう(笑)

 

でね。駅員さんにいうわけですよ。「イヤホン落としちゃったんですけど…」ってね。実際は「イヤホン落とした脳みそゼロキロカロリーのクソゴリラですけど、土下座して靴舐めた上に100万貢ぐので代わりにイヤホンをあの長いUFOキャッチャーの先みたいなやつで拾って頂けないでしょうか…いや、時間のある時で本当構わないんですが、マジで(笑)おなしゃすm(ー    ー)m」って思ってますけど、仕事できる社会人はね。端的に要件をね。伝えますからね。で、駅員様も忙しいのに即動いてくれるわけですよ。あのマジックハンド的なやつを使ってね。俺の耳糞まみれの電波すぐ途切れる鼻くそみたいなイヤホンをね、頑張って駅員様が拾おうとしてくれるわけですよ。申し訳ない。申し訳ねえなあ!ありがとうございます本当に!!!!!!もう感謝しかない!感謝のあまり内臓をあげたい!!

 

そしたらね。駅員様がマジックハンドみたいな棒を伸ばして拾おうとするわけですが、俺のイヤホンがあまりに小さいのか、マジックハンドのさきがぶっといのが悪いのか、全然噛み合わない。イメージ的にいうと、ゴリラがマジックハンドで3メートル先に落ちてるナッツを拾おうとしている、っていうとわかりやすいですかね。あっ、でも例えがプリミティブすぎてこれじゃあわかりづらいかな?じゃあ現代的な比喩に直して、ゴリラを駅員に、ナッツをイヤホンにするとより良いかもしれませんね。つまり駅員がマジックハンドでイヤホンを拾おうとしているんですけど、全然これが掴めないんですよ。あっでもこれだとわかりづ(無限)

 

ほんっっっっとさ!!!掴めないのよ!!!これが!!!マジでさ!!!もう少しで電車が来るってのに!!!周りで見ている人もいっぱいいるのに!!!駅員様が頑張ってくれているのに!!!もう一息!もう一息で掴めそーーーなのに、掴めない!UFOキャッチャーでポムポムプリンの首根っこをわしって掴んでるのに意地悪店長がバネをゆるゆるにしてる感じで、絶妙に掴めない!!!掴めそーなのに掴めない!!みててほんと、めちゃめちゃ頑張れってね、自然に感情が溢れましたよ!!いけえぇええええええ!!!もう少しダァああああ!!!頑張れ駅員様ぁあああああ!!!ってね。

 

もうめちゃくちゃ応援した。願いましたよ。駅員に。駅員とそのマジックハンドに。数分くらいだったかもしれませんが玉金が2ミリに縮むくらい死ぬほど願ったし祈ったし応援しました。もし俺がドバイの大富豪なら詰襟の学ラン45名と全国レベルのブラバン130名を引き連れて「不亜維斗」っていう5メートル×15メートルの大団旗を振り回すくらい応援した。魂が焦がれるほど団旗掲げましたよ。そしたら魂の慟哭が伝わったのか、数分後、駅員様が俺のクソイヤホンを救助されたのです!!!!あり…ありがとぉおおおおおお!!!!!

 

 

 

ああ、今までみんな、こんな純粋な思いで誰かを応援していたのか!知らんかった!申し訳ねかった!と一瞬感動しましたが、実際よく考えるとその応援する気持ちの原動力ですら『早よ拾ってくれないと電車くるし気まずいな』という思いからでした。

 

 

 

つまり俺の根っこは何も変わっていない。

幼少期の愛から補填しないとどうしようもない。

 

 

 

 

ハセツネ2022を走ったよ

ご無沙汰です。いきなりですが走ってきました。日本山岳耐久レースことハセツネ。トレイルランニングする人にとってはいつかは出たい!と思わせる2000人規模の参加者が集う日本有数の大規模トレランレース。また71.5キロ、累積標高4500m、午後13時スタートなので走る大半が真夜中の山中という過酷さなのに補給が42キロ地点の水1.5リットルしかないというマゾヒスト向けなシビアさ。俺も初めてこのレースの存在を知った時には思いましたよ。

 

「どんな頭おかしい奴らが出てるんだ?」ってね。

 

 

 

でも完走した今ならこう思います。

 

 

 

「マジでみんな頭イカれてるぜ!!!」って。

 

 

あ、タイムは20時間とかだからガチのマジな人は参考にしないでくださいね。

 

 

■ハセツネなんで走ったか

なんでそんなクレイジーなものに出ようと思ったかというと、フルマラソンを今年の一月にサブ4したんですよね。で、おそらく3時間以内は無理だなって思ったんです。ランニングは大好きな趣味ですが8年くらい市街地ばっかり走ってると飽きてきて、目標を見失ってたというか。で、トレランの真似事して見ようって思い、ふと高尾山の方とか自分で走って見たんです。するとこれがすこぶる気持ちいい!緑の中、尾根を駆け降りる爽快感がたまらない!おっさんはキャンプとか釣りとかアウトドアに流れる人多いじゃないですか。それって自然の中でリフレッシュできるからなんですけど、初めてその気持ち良さってのがわかりましてね。そりゃ山を登るときは苦しくて、昔から登山なんてキツいし苦しいし何が楽しいんだ、と思ってたんですが42のおっさんにもなると悪い意味で刺激をあらゆることに感じなくなってきて、もう登りの苦しいキツいことが山を駆け降りる気持ちよさまでのスパイスというか、サウナと水風呂というか、苦しさすらより楽しさ嬉しさを際立たせる必須条件みたいなもんに思えてきたんですよね。

 

■トレラン開始〜本番まで

で、今年4月ごろ、友達が青梅高水国際っていう16キロくらいのトレランレースに誘ってくれたから出たらこれがまあ、ちょうどいいキツさで走って気持ちいい。ロードと違って飽きないし、登りは歩いていいからある意味キツくない!こりゃいいってんで調子ぶっこいて両神山トレイル20キロ、プレ陣場山34キロって出てみたらおお、意外にいける。こりゃ71キロのハセツネもいけるか!?と思い、開始3分くらいで満員になると噂の申込開始日にIpadスマホ、パソコン3台で望んだら通っちゃったんですよね。よっしゃー!!と思ったんですけど本番2ヶ月前の8月くらいからめっちゃ怖くなってきて、ナイトラン講習とか、自分で試走とかしてみたら、めっっっちゃキツくて焦りました。だって水3リットル持ってるのに、前半で飲みきってしまう。補給のある42キロ地点なんて到底追いつかない…初めて水がない恐怖を知りました。いろんな人の体験談見ると、大体みんな暑さと脱水で苦しんでいるとのことで、試走した時点で正直こりゃ無理だな、参加費2万もったいないことしたなーと思いましたね。マジで。

 

■ハセツネ本番

そして本番。緊張して前日全然寝られず、やべえなと思いながらスタート地点へ。初めてみる本気のトレイルランナーたちの気迫に押され、テーピングを3重にしたガチガチの足首と同じくらいガチガチでございました。事前にYouTubeとかで予習したようにスタートは飛ばさず、最後尾あたりからゆったりと始め、汗のかきすぎに気をつけ、水はどうしようもない時に一口飲むか飲まないか。これで25キロくらいまでは遅いながらもね、さほど疲れず行けたんですよね。闇夜の中とはいえね。

 

だが!!ですが!!しかし!!!事前の予報通りとはいえ、降り出した雨がすごかった。これは今年の参加者は皆苦しんだんじゃないでしょうか。風雨、正確にいうとその風雨による寒さと、何よりも足元の悪さに。足元がもうトレイルランニングとかそういうレベルじゃない。足首まで泥で埋まり、引き抜くときにガポッと音がするレベル。靴が重くてしょうがない。初めはそれでもなんとか耐えてましたが、前半の佳境、三頭山に至るともうちょっとした川。泥のぬかるみのせいで一足前に出すと三歩滑ってしまい登れない!そして俺はストック持ってない!!!何度も転けながら滑りながら時に這いつくばり、時に木を掴んでよじ登り、落ちてる太めの枝を支えに歯を食いしばって登りました。そして登り切ってようやく下り基調と思ったらまた泥で滑る!転びすぎて滑りすぎて、もうケツで滑った方がいいんじゃね?と開き直ってマジでケツで滑って降りたところもありました。あのケツにぐちゃぐちゃの泥が入る感覚、小学生以来でした。懐かしさすら感じる。当時はうんこだったけど。

 

そしてようやく水の補給地点42キロまでヒイヒイになってきたら、もうスタートから10時間以上経っており、もうオールナイトニッポンとかやってる時間帯。そして標高1000メートル近い地点。全然暑くないから水には相当余裕があったわけですが、水を入れ替えて少し休むか〜、と思ったらめちゃくちゃ寒い。今まではがむしゃらに動いてたから体に熱があったんですが、5分も止まるともう体が冷えてきて、本能で「こりゃやべえ」と思い速攻で歩き始めました。終わった後で見ると、4割近いリタイアの方々は大体低体温症みたいでしたね。いやそりゃそうだろと。周りから嫌って言うほど脱水に気をつけろ!暑いぞハセツネは!と言われたらクソ寒いなんて、一体どうすりゃいいのよって思いますよね。事前にちゃんと言ってよ!(神へ)

 

そしてその後はもう、泥水の中を「寒いキツい辞めたい」と思いつつ、「でも2万払ったし、周りにハセツネ出るぞ!って言っちゃったし」と思いながら、残り距離のことを考えるとやめたくなるから考えず、目の前の一歩だけを考えて、ひたすら耐えて耐えて耐えて、滑って転んで、大岳山を終えた後にはもう抜け殻みたいになっていました。最後の金毘羅尾根もちょっとだけ走れましたが、ゴールまであんまり記憶がないです。ただただ、生きて帰りたいと思っていました。エネ餅を齧りながらただ足を前に出す機能しかない、生き物として最もシンプルな形。人や猿どころか、ボウフラとかミミズとかに近いです。

 

■ゴールしてみて

で、残り5キロ!とかみんないうんですけどクソ長い道中をようやくゴールした時は、よっしゃー!って感じでもなくて、嬉し涙が出るわけでもなく。手を上げたかどうかもマジで覚えてないです。そりゃあ、初め走ってる時は「ゴールした時は世界が輝いて見えるかも!」とか「感激で泣いちゃうかも!」「人生観変わるかも!」とか思ってたんですが、マジでもう、何も考えられなくて、走らなくていい安堵感と、ただただ雨の山道には2度と入りたくない、という言葉にもならない2つの感情の塊だけでした。苦しさやきつさの裏にある喜びを感じたくて出たのに、裏の喜びすら感じられないくらいキツかったです。ある意味忘我の境地。まさに字の如く日本山岳「耐久」レース。舐めてたわけじゃないですが、フルマラソンサブ4くらいで調子乗って申し込んで、ほんとすいませんでしたって感じです。

 

でもアドレナリンはおそらく出っ放しだったんでしょうね。前日寝不足だったのに全然眠くなかったです。そして次の日もガッツリ寝るでもなく、普通に起きました。あの1日分の睡眠はどこ言ったんだろう。そして今、マジで思いますね。

 

「今度は灼熱のハセツネに出たい!ストック持って!」

 

 

 

*出たい人用、持っていってマジでよかったもの

 

・ミレーの網シャツ 

おい!エキセントリックなど変態シャツじゃねえか!と思われる見た目ですが、安心してください。Tシャツの下に着るものです。汗冷えがなくなるのでマジですごい。とは言いつつも序盤は暑かったので雨が降ってきてから着ました。どうやったって?脱ぐしかねえだろが!そう、夜の山中で普通に上半身全裸になって着たよ。だって死にたくないからな!

 

・ある程度値段が高いレインウェア

ワークマンとかが悪いってんじゃないですが、寒い夜の山を一晩中風雨にさらされるわけですから、それが原因でリタイアとか病気になったら洒落にならないのでちゃんとしたやつ使った方がいいです。俺はパタゴニアのストームレーサーってのにしました。これと上のミレーの網着込めば、動いてる限りは全く寒くありませんでした。お腹も冷えない。(膀胱は冷える)

 

・ガム

これは会社で完走経験がある先輩から、「水が飲みたくなるからガムを噛むと節水になる」と言われ、ほんまかいなと思いましたがほんまでした。このおかげで1リットルくらい節約できてたと思います。噛み心地や味から言って、「歯磨きガム」が最高でした。だって初めからあんま味ないし。今思うと眠くならなかったのもこのお陰かもしれない。

 

・足に貼るテープ

あれみんな、オシャレだから着けてんの?と思ってましたが全然違った。ごめん。意味あったんだね。私は足首用のやつを3枚重ねで貼りましたが、おかげで何度転んでも捻っても何のダメージもありませんでした。必須。膝のやつも貼りましたがそれは正直わかんなかった。貼り方が悪かったのかな。

 

・大きなゴミ袋

着替えた後の泥ぐちゃな靴とか着替えとかリュックとかを詰め込むのに必須。3枚くらい持っていきたい。終わってからシャワーとか風呂がないので、くそどうでもいいシャツとかパンツをお風呂までの繋ぎにあるといいと思いました。(俺はなかったのでお気に入りのシャツが臭くなった)

 

・腰に付けるライト

俺はレッドレンザーのこれを二つ持って行って、一つは頭にもう一つは腰に付けて、どちらかが電池切れたらもう一つ使おうと決めていました。そしたら地面がよく見える腰しか使わず。時間も明るさも充分でした。路面しか見ないから腰だけで良いっていうか、霧もすごいからヘッドライトあんまり意味なかった。

 

・根性

なくてもいい。ただただ目の前の一歩を進めることだけ考える。根性!とか気合い!とか思うと、残り距離と現状の過酷さに負けるので、ただただ一歩のことだけを考える。周りの人とかどうでもいい。自分の一歩のことだけ考える。

 

・ジェルとか食い物

40個くらい持っていきましたが使ったのは30個くらい?カフェイン入りのやつとそうでないの、脱水対策用、いざという時のやつとか4種類くらいありましたが、ぶっちゃけどれもあまり違いませんでした。なんだかんだ言って羊羹とエネ餅最強。エネ餅めちゃくちゃ元気でる。1時間に一個で凌げるかと思いましたがキツい時は30分に一個食ってました。よく「胃腸が弱って食べられなくなる」とか言いますがそれはなかったです。丈夫な胃腸に産んでくれたお母さん、ありがとう。

 

 

だが寒さのせいか、おしっこは常にしたかった。

 

できれば来世では膀胱の耐久力を高めによろしく。(神へ)

 

 

 

 

 

二郎とマラソンと私

二郎ってあるじゃないですか。最近じゃもうラーメンの一大ジャンルとして完全に根付いた、暴力的なまでの油っこさと太い麺と、分厚い肉と山のようなモヤシの4重奏が織りなすあのラーメン。いやラーメンと言っていいのかすらよくわかりませんがあれですよ。カロリーの塊のあれ。私もそう頻繁ではないにしろ、半年に1度くらい無性に食いたくなるんですが、こないだ食べてて気づいたんですよね。ある衝撃の事実に。

 

「二郎って、なんかマラソンと似てるな」

 

いや。ここは極論となることを恐れずに、より正確に本質を捉えた表現にすべきですね。

 

「二郎はマラソンだし、マラソンは二郎」

 

何言ってんだこいつ…と思った貴方。ラーメンという食べものとマラソンというスポーツで全く違うじゃないか!と思われていることでしょう。浅はか。浅はかなり。そんな物事の薄っぺらい表面でしか物事を考えられないようではいけません。貴様きっと24時間テレビで泣いてるだろ。浅い。浅過ぎる。人の心の裏の裏の奥の裏まで読み通すカイジのEカードでちぎった耳の血でも煎じて飲むべきです。

 

なぜ二郎とマラソンがおなじなのか?この後私が示す論証を聞いた後には、きっとあなたも「同じだ…!むしろ違いが見出せない…!」と私に土下座し靴を舐め、5億円貢ぎ平伏して更にビットコインを2億分貢いだ後にからあげクンを2つ分けてくれることでしょう。間違いない。いやだってさ。落ち着いて考えて見てくださいよ。冷静になった方がいい。この3つの共通項をまず聞いてみてほしい。

 

 

■二郎とマラソンの共通点1:めちゃくちゃなカロリー

ラソンって42.195キロ走るじゃないですか。普通の成人男性が完走した場合、大体2800キロカロリーくらい使うらしいんですよ。で、知ってます?二郎の大豚Wのカロリーも同じ、2800キロカロリーなんですよ。食う時に多少カロリーは消費するとしても摂取するカロリーはフルマラソンで消費するカロリーと完全に一致しています。いや、わかるよ。お前の言いたいことはわかる。二郎は摂るカロリーでマラソンは使うカロリー、全然正反対じゃねえか!と。浅い。だからお前は浅いと言っておるのだよ。そんなんじゃ利根川にEカードで勝てないどころかエスポワール号に乗れないぞ。よく考えてみてください。光ないところに闇なし。悪のないところに正義はありません。陰と陽、それぞれが対としてなくてはならない存在だということはつまり、もはや同じ存在だと言っても過言ではないのです。わかった?わかったね?じゃあ次行くよ。ちゃんと着いてこいよ。

 

■二郎とマラソンの共通点2:すげえキツいのにチャレンジする人が絶えない

またそれだけではありません。二郎の三田本店に行ったことはあるでしょうか。いつ行っても行列が絶えることはありません。あの油ぎったすごい量、食べてる最中には後悔の念すらよぎり、食べ終わる頃には半年は見たくもない…と常人が思うラーメンですが、ハマる人が後を絶ちません。またマラソンも限界を超えた距離に足が痛み精神もボロボロになり、完走直後は2度とやらねぇ!と思うような過酷な競技にも関わらず、東京マラソンの抽選率は上がり続け、競技人口は増えるばかり。つまり両方とも常人の理解を超える苦痛を伴う競技にも関わらず、誰もがハマる悪魔的な魅力を備えているのです。ここまで来たら皆さんも「まさか…ひょっとして…?同じなのか…?」と思い始めてきたのではないでしょうか。そう。真理まで後一歩。目覚めはもうすぐです。

 

■二郎とマラソンの共通点3:一度心が折れると2度と立ち直れない

最後にもう1つ。これは私の実体験をもとにお話ししましょう。私は先日ようやくフルマラソン4時間切りを果たしましたが、それまでは何度練習しても途中で歩いてしまい、最後まで完走することができませんでした。正確にいうとかなり後半まで順調に走っていても、足の痛みや精神的な疲労で一度足が止まってしまうと、もうそこから同じペースで走ることは絶対にできません。だからどんなにゆっくりでも足を止めず、心を繋いで走り続けることがとても重要だったのです。

 

そして後日。フルマラソンで消耗しきった私は久々に体が暴力的なまでのカロリーを本能的に求めていることに気づき、二郎を食べにいきました。正確にいうと最近増えた二郎インスパイア系の店でした。普段なら小豚野菜マシを頼むところですが、フルマラソンで消費した活力を得るために、その日は大豚W野菜マシを頼んだのです。三田でも目黒でもない普通の住宅街のインスパイアだったこともあり特に混むこともなく、落ち着いてモヤシをかき分け、肉をかっ喰らい、ぶっとい麺を貪ってこれだよこれ!と味わい尽くしておりました。

 

後もう3口くらいかな、さすがインスパイアとはいえさすが大。この量と味の濃さはすげぇな、と思っていた頃。店員さんが衝撃の一言を告げました。

 

「すみませんお客様!間違えていました!」

 

えっ何が?と麺を啜りながら顔をあげる私。この状況で今更何を間違えているのかな?正直トッピングとか味わいが多少間違っていてもここまで美味しく味わってきているし、何よりもう完食寸前だし、と思っていると店員さんが更に一言。

 

「それ、『中』でした!申し訳ありません!」

 

あ、そうなんですか。インスパイア系は独自のサイズ規格らしく、同じ小とか大でも店舗によって量が全然違う、とかよくある話なので気づきませんでした。つまり私は大サイズを頼んだのに中サイズを食べていたわけですね。まあ、それはね。人間ですから。ミスをするのはしょうがない。むしろ私は満足しているわけですから。料金としては大の費用で中を食べたとしても問題なく、まあ差額を返金してくれれば御の字。返金すらなくても良いくらいですよ。

 

 

「ですのでこの『中』、お詫びにもう一杯どうぞ!」

 

 

おい!!おいおい!!おいおいおい!!!無理だって!いや無断でもう一杯ドン!って置くなって!!俺もうマジでかなり満腹なんだって!!!そこにお前、たとえ間違いだとしてもよ?更に俺の判断なくもう1杯追加ってお前、どっちかっていうとそっちの方が間違いであってミスだろ!!!よく考えろよ!!!返金とかさ、次回にサービスとかあるだろ!?!?!なぜ完食間際でもう腹パンパン、どっちかっていうと食い過ぎて後悔してるくらいの俺にジャッジを仰がずもう一杯中サイズ出すんだよ!!!頭、おかしいのか!?どういう教育受けてきたの?親に?先生に?老師に?ああん?その脳みそ油とカエシとニンニクマシマシでおかしくなってんのか!?おう?脳みそマシマシして考えろよ!!食える!わけ!なかろうが!!うん?もう一度言おうか?KUERU!!! WAKE!!! NAKAROUGA!!!!!!常識的に考えろ!!!

 

そして俺は、明らかに善意のホスピタリティで満ち満ちた笑顔をするその店員に多少の罪悪感を感じながら、こう言ってやりましたよ。

 

 

 

「あっ、はい。 あざす…」

 

 

 

 

これでわかったでしょう。この麻薬的な魅力に心掴まれる人は数知れませんが、一度心が折れると2度と立ち上がることはできない、マラソンと二郎という存在の同一性を。

 

 

 

 

 

めちゃくちゃ残した。

 

 

 

 

 

 

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にぶるのう

この間、「イノセンス」っていう映画をアマプラで観ましてね。人形と人間の対比をテーマにした攻殻機動隊の続編でして、人形の不気味さと美しさが入り混じった不思議な印象を残す映画でして。41になった俺の鈍い脳はもはや2時間の映画一本観るのも一苦労なのですが、これは最初から90分フルで夢中になるくらい面白かったのです。そして最後の大詰めラスト10分で気づきましたね。

 

「これ見たことあるわ」

 

ってね。やべえ。昔から漫画の同じ巻を買ってしまうことで定評のある俺でもこれはやばい。なんせ漫画は内容を見ずに「これ見たことない表紙だな」って勘違いしているので表紙を覚えていないというだけなのですが、映画は90分まるまる見たことをすっぽり忘れていますからね。更にいうならフレッシュな感動を得てすらいる。脳の鈍さの度合いが段違いですよ。罪の重さでいうなら漫画の同じ巻を買う方が1限への遅刻だとしたら、同じ映画見たことに気づかない方は放火殺人(しかも大量)ですよ。やばい。やばすぎる。

 

しかもこれに輪をかけてやばいのが、これが2度目だってのが更にやばい。2ヶ月くらい前に「デッドプール2」をディズニーチャンネルでみて、これは最初の30分くらいで気づいたのですが、その際も寒気がしましたからね。自らのヤバさに。気づいたらクラスメート全員殺してた殺人鬼(2ヶ月ぶり2回目)の気分ですよ。気づいたら手のひら真っ赤でぎゃああああーっ!って叫んで次回予告にフェードアウトするやつですわ。なんなら劇場で見てましたからねデッドプール2。よくこういうこと言うと、「同じ作品で感動を得られてよかったじゃん」みたいなこという人いますけど、実際自分がなったら恐怖ですよ。このまま映画どころか自らの過去全てを忘れ、そのうちゲームオブスローンズをただ繰り返し見続けるじじいになるかもしれないじゃないですか。シーズン8はまだかのぅ婆さんや…あのエロ王女はどうなったんじゃっけ…とか言ってたら激ヤバじゃないですか。妖怪激ヤバサブスクじじいじゃないですか。

 

よく40過ぎて肉体的な衰えを感じるとか言いますけど、実際俺は老化はあるにしても肉体的な体力はランニングをすることでむしろ20代より上がってる気すらするんですよね。でも脳の衰えがやばい。最近つまんないな〜とか漠然とした無力感とか感じる時あるんですけど、別に大量殺人して懲役4億年とかでもないし、手錠と足についた鉄球で1ミリも動けない環境でもないんです。てか客観的に見ると何にもやばいことなんてなくて、家庭も仕事もそこそこ順調なのにそんな気がするのは、もうシンプルに老化による脳のにぶり、いわば記憶力とか感受性の衰えだと思うんですよね。いやいい点もあるんですよ。嫌なこと忘れたり嫌なことされても耐えられたりしますしね。鈍くなってっから。

 

まあ一概に老化とも言えなくてコロナ禍による在宅率が上がったことによる外部からの刺激が減ったからかもしれないんですけど、それにしても今回の映画2度見忘れ現象はやばかった。今後は意識して新しいこと、刺激を受けるようにしないと、マジで今後もこういうことある気がしますわ。何度も何度も永遠に金曜ロードショーラピュタみて「おもすれ〜」とか言うようになったら終わりよ。ロムスカ・パロ・ウル・ラピュタとか言えるようになったら脳の鈍りを意識した方がいいよ。シャアのセリフとか全部覚えてるやつも気をつけるべきだよ。「君はシャアアズナブルという人間を知っているか…?」とグラサンかけながらいうようになったらもう終わり。終わりですよ。お前自分がクワトロバジーナとか名乗るだけでそんな真っ赤なチョッキとモビルスーツガンガン乗ってバレないとでも思ってんのかと。頭ほんと大丈夫なのかと。せめて整形するくらいしたらどうなんだと。

 

 

ということで、もう年末も差し迫ってきておりますが、今後は新しい刺激というのを意識していきたいと思っております。映画を見るにしても新作とかを意識してね。SFとかまさに刺激的でいいじゃないですか。ねえ。俺昔から攻殻機動隊とかAKIRAとか好きなんで、そういうジャンルの映画探してみようかと思ってるんですよ。そういやアマプラで前から気になってる面白そうな映画がありましてね。明日あたり見てみようかと思ってるんですが。

 

 

イノセンスっていうんですけど。

 

 

 

 

 

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