そのラリアットはマジでヤバい

おっさんIT系サラリーマンの自意識が高ぶったときに、ふとぶちかます雑記です。

30代後半。家庭と仕事のバランスと、その難しさ

人は生きて行く上で金銭を得ねばならず、そのためにはどういう形であれ仕事をせねばなりません。また家庭を築いたものはそれを守りきる義務があります。ところでそんなんどうでもいいわ!おーい!みんなー!ダンゴムシ捕まえようぜ!ぶいーん!公園までダーッシュ!あっ見てみ。カリントウ落ちてる!うまそう…食おうかな…もしくは排泄物っぽいからやめようかな…でも『リスクを取らない奴は何事も成し遂げられない』ってモハメドアリも言ってたし、男と生まれたからには覚悟を決めて!食すか!!

 

え?タイトルは文章の要旨じゃないとダメだって!?

 

そんなん誰が決めた!?おい!!誰だ!角栄か?それとも康栄かって聞いてんだよ!!

 

とパンクな流れで初めてみました。みんなも道で落ちているカリントウっぽいものがあったら食してはいけないぞ。なぜならそれはカリントウではない可能性がわずかにあるからさ。そしてこの流れでいくと俺は何を隠そう、うんこの話がしたいのです。さっき排泄物って濁したのはちょっと我ながら格好つけていた節がありましたね。うんこですよ。うんこ。38になっても依然として口にするだけでめちゃくちゃ面白い。それは認めざるを得ない。今日はそれについてじっくりと語らせてもらいます。

 

なんなら小学生頃は「うんこ!」と叫ぶと100面白かったんですが、小学校高学年から大学生、社会人になってそんな幼稚なこといってバカらしい…とテンションが下がりその面白さは10、いや2くらい…と言葉遊びとしてのうんこ離れの時期に入るじゃないですか。反抗期と言ってもいい。そんなもんより深夜のマイナーな芸人や、アート入ったシュールな笑いがわかる俺格好いい時期ってあると思うんですよね。そんな反抗期じみた時期があることをうんこ自体もわかってると思うんですよ。むしろ母のような温かさで見守ってくれていたといってもいいんじゃないでしょうか。

 

そして30台も後半に差し掛かり、住宅ローンも背負った身で思うのは、うんこっていうワードのパンチのきいた面白みですよね。なんなら30代後半の会社員がそれを口に出している、もしくはこうやって文章に起こしている、というところまでふくめるとその面白さはむしろ2000くらいあると思うんですよ。小学生の頃より抜群に面白い。このアダルトな表現としてのうんこの面白みは、言葉を発するという一方的発信ではなく、媒体を通じ誰かの感情を揺さぶり、なおかつそれをうんこと発した自分自身が受け取り、第三者的な視点で見た一連の化学反応としての面白み、そういってもいいんじゃないでしょうか。いや知らんすけど。

 

もう少し踏み込むと30超えたおっさんって風邪とか酔った時に一回はうんこ漏らしてますからね。確実に。抗えない時間という波に流され弱まっていく肛門括約筋という、悲しさというか美しさ?愛しさ?切なさと心強さ?的なものもうんこの面白みのスパイスとしてあるんですよね。なんで俺、会社内のコンビニでパンツ履いていないんだろう…というジメジメとした背徳感と、逆に初夏の高原に吹くそよ風のようにスースーする股間の矛盾とかね。アレが感覚として理解できる奴とできない奴とでは、ビジネスマンとしての器の広がりが違ってくると思うんですよね。むしろあの感覚が理解できないと人生に厚みがない、つまり家庭と仕事の両立も本質として成し得ないとすら思います。いや、成し得ません。

 

…よし!戻ってきた!!

 

タイトルに即した感じに戻ってきたぞ!!

 

俺、やれた!リスク取って成し遂げたわ!

 

ありがとう!モハメドアリ!

 

 

 

 

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